リスボン
ポルトガルの首都リスボンは七つの丘のある町として知られ、街のあちこちにある坂道を走るケーブルカーは、リスボンの名物です。ケーブルカーを使わずに一日中町を歩いて回るのは大変です。ポルトガルの中心部の大西洋沿いに位置し、文化や歴史に富んだ町の中には、イスラムや中世の時代を感じる建物が大切に保存されています。アクセスが良く、世界中から飛行機が乗り入れていますし、ヨーロッパからなら、スペインを通過してバスや電車で行くこともできます。リスボンの町は湾に接しているので、いつも穏やかで快適な気候で、とんでもなく暑くなったりすることはありません。
サン・ジョルジュ城は、ローマ時代の城塞で、リスボン最古の建物と言われます。七つの丘のうちのひとつの上にあり、険しくて狭い坂道が続きます。フィゲイラ広場からバスに乗って無理やり丘の上にのぼることもできますが、乗り心地は決して良くないことを覚悟しておきましょう。城壁の内側は公園になっていて、リスボンの町を一望することが出来ます。
サン・ジョルジュ上のあるアルファマ地区は、アラビア人が作ったとされるリスボンでも最も古い地区です。まるで迷路のように入り組んだ細い道の両脇には、何世代にもわたって住んでいる人たちの家が並び、人々の昔ながらの生活を身近に感じることの出来る場所です。
町の西部ベレン地区には、ベレンの塔やジェロニモス修道院といった世界遺産があります。この修道院は、16世紀にマヌエル1世によって100年もかけて造られたマヌエル様式を代表する立派な建物で、19世紀に作られたヴァスコ・ダ・ガマの墓や、石灰石の見事な彫刻などが見られます。入り口には、かのエンリケ航海王子の像も立っています。
テージョ川の中には、川からの侵入者を警戒するために、同じくマヌエル1世によって建てられたベレンの塔があります。川に沿ってさらに東へ少し進むと、発見のモニュメントと呼ばれるエンリケ航海王子の没後500年記念像があり、その付近描かれたモザイクの世界地図の上には、ポルトガル船がそれぞれの場所を発見した年代が記されています。
1755年に発生した観測史上最大とも言われるリスボン地震では10万人もの人が亡くなり、ポルトガルは大きな打撃を受けました。その後ポンバル侯爵により再建され、さらにはファシズムの下で拡大されたこの町には、地震で失われた文化の面影がいたるところに残っています。夜はポルトガル民謡「ファド」を聴きながら、ゆっくりと食事を楽しみましょう。
サン・ジョルジュ城は、ローマ時代の城塞で、リスボン最古の建物と言われます。七つの丘のうちのひとつの上にあり、険しくて狭い坂道が続きます。フィゲイラ広場からバスに乗って無理やり丘の上にのぼることもできますが、乗り心地は決して良くないことを覚悟しておきましょう。城壁の内側は公園になっていて、リスボンの町を一望することが出来ます。
サン・ジョルジュ上のあるアルファマ地区は、アラビア人が作ったとされるリスボンでも最も古い地区です。まるで迷路のように入り組んだ細い道の両脇には、何世代にもわたって住んでいる人たちの家が並び、人々の昔ながらの生活を身近に感じることの出来る場所です。
町の西部ベレン地区には、ベレンの塔やジェロニモス修道院といった世界遺産があります。この修道院は、16世紀にマヌエル1世によって100年もかけて造られたマヌエル様式を代表する立派な建物で、19世紀に作られたヴァスコ・ダ・ガマの墓や、石灰石の見事な彫刻などが見られます。入り口には、かのエンリケ航海王子の像も立っています。
テージョ川の中には、川からの侵入者を警戒するために、同じくマヌエル1世によって建てられたベレンの塔があります。川に沿ってさらに東へ少し進むと、発見のモニュメントと呼ばれるエンリケ航海王子の没後500年記念像があり、その付近描かれたモザイクの世界地図の上には、ポルトガル船がそれぞれの場所を発見した年代が記されています。
1755年に発生した観測史上最大とも言われるリスボン地震では10万人もの人が亡くなり、ポルトガルは大きな打撃を受けました。その後ポンバル侯爵により再建され、さらにはファシズムの下で拡大されたこの町には、地震で失われた文化の面影がいたるところに残っています。夜はポルトガル民謡「ファド」を聴きながら、ゆっくりと食事を楽しみましょう。
